Long term eGFR plotの取り組み
取材日:2021年10月26日
大津市民病院
腎臓内科部門 診療部長
中澤 純 先生
滋賀医科大学 内科学講座
糖尿病内分泌・腎臓内科 教授
久米 真司 先生
新たな行動を起こすべきなのに、なかなか実行に移せないことを「現状維持バイアス」「心のブレーキ」と言いますが、医療界においても糖尿病領域を中心に「クリニカルイナーシャ」(Clinical inertia:臨床的惰性あるいは臨床的慣性)という概念を耳にするようになりました。
クリニカルイナーシャとは、治療目標が達成されていないにもかかわらず、治療が適切に強化されていない状態のことを意味します。例えば、糖尿病と診断されているのに治療が開始されない状況や、近い将来、透析に移行してしまうリスクがあるのに介入されないことなどが挙げられます。
透析を防ぐためには、どのようにしてクリニカルイナーシャを解消すればいいのか。今回は、長期間にわたって腎機能の推移を確認することでクリニカルイナーシャの解消に取り組んでいる、滋賀医科大学糖尿病内分泌・腎臓内科教授の久米真司先生と大津市民病院腎臓内科部門診療部長の中澤純先生にお話をうかがいました。
Long term eGFR plotで
CKD/DKD診療・医療連携を次のステージへ
大津市民病院 腎臓内科部門 診療部長 中澤 純先生
この状況を変えるには、「クリニカルイナーシャ」を解消する必要があります。CKD診療におけるクリニカルイナーシャは「腎機能が悪化しているにも関わらず、治療が適切に強化されていない状態」と言えます。
クリニカルイナーシャの要因は、図1のように医療従事者、患者さん、医療システムのそれぞれに関連する要因があります。例えば、医療従事者には、外来診療に時間をかけられない「時間的制約」がありますし、患者さんには疾患の転帰に対する認識の欠如などがあります。医療システムにはチーム医療の欠如が要因となります。
図1 クリニカルイナーシャの要因
Khunti K, et al. Prim Care Diabetes. 2017 Apr;11(2)105-106
Okemah J, et al. Adv Ther. 2018;35(11):1735-1745より作図
Nakazawa, et al. 第36回日本糖尿病合併症学会, 2021
例えば、1年ごとの観察では「腎機能が安定しているので治療を継続しましょう」で済まされていた患者さんに対し、「このままでは何年後に透析になる」と指摘することができます。
第一世代(2016年)は、1回/月のeGFR値もしくは血清Cr 値の入力で Long term eGFR plot を作図する Excelファイルで運用していましたが、データ手入力の負担や入力ミスのリスク回避のため、第二世代(2018年)では、電子カルテなどのデータを自動的に抽出してLong term eGFR plotを描画するシステムに変更しました。現在(2019年以降)の第三世代では、CKD診療における重要なパラメータである尿アルブミン、尿蛋白、HbA1c、eGFRcysの長期推移も自動的に描画でき、施設間ネットワーク化にも対応できるようになりました。
図2 Long term eGFR plotとは
Nakazawa, et al. 第63回日本腎臓学会学術総会, 2021
eGFRの経時的低下は
介入なしには止まらない
具体的には、Long term eGFR plot導入により、腎臓内科に対するコンサルト症例が2015年度の136件から2020年度には280件に倍増し、特に糖尿病内科からは23件から87件に約3.8倍と高い増加率でした。さらに、増加したコンサルト症例の多くが介入しなければ数年~十数年で末期腎不全に至る見込みの症例でした。
同様に、腎保護目的の栄養指導件数が入院で141件から446件と3.2倍、外来で67件から766件と11.4倍に増えています。栄養指導よりもハードルが高い教育入院も13件からコンスタントに100件以上と増加しました。
医師と患者さんだけでなく、看護師、管理栄養士、薬剤師など、多くの職種が「腎機能の悪化を止める」と同じ方向を見て介入するチーム医療が実現し、早期発見・早期介入で腎予後改善を実現できています。Long term eGFR plotによってクリニカルイナーシャを解消できるのです。
この数年で大きく腎予後改善した91症例の透析非導入期間と医療費削減効果(500万円/年で試算)を試算したところ、累計で約1158人・年分の透析を削減(約116人の患者さんが10年間透析せずにすむことに相当)でき、約58億円の透析医療費削減が見込めることが分かりました。
ただし、まだ問題が残っています。CKDステージ4~5 (eGFR<30)の腎予後改善率をLong term eGFR plot導入直後(効果が発揮できていない時期)と2020年で比較すると、34.9%から58.0%と上昇したものの、約4割の患者さんが手を尽くしても腎予後が改善していないのが現実です。また、導入直後の2016年度に新規血液透析導入症例数が減少しましたが、再び増加傾向に転じました。これは、腎予後改善できても透析導入時期の先延ばしにすぎないことが原因です。しかし、改良を続け全診療科で利用できる体制に移行したことで、再び透析導入症例数が減少してきました。これは、早期介入が可能となり、透析にならずに済む患者さんが増えてきた効果だと感じています。
eGFR<30からの介入では間に合わなくても、もっと早期に同様の介入ができれば透析を回避できる可能性が高くなります。早期介入こそが実際の透析患者数減につながります。かかりつけ医や非専門医の先生が、場合によってはかつての我々のように腎臓内科専門医ですら、経時的な腎機能の低下に気づかずに診療を続けている可能性があることがLong term eGFR plotで分かりました。現在では、滋賀県を中心に69施設、4市町村で活用されていますが、今後は健診・診療所・病院のデータを連結した「次世代Long term eGFR plot医療連携システム」 の構築により、さらに効率的な腎症重症化予防対策が可能になると考えています。
図3 Long term eGFR plot (第三世代)
中澤純先生ご提供
図4 院内コンサルタント症例数の推移(大津市民病院 腎臓内科)
Nakazawa, et al. 第36回日本糖尿病合併症学会, 2021
腎予後改善(悪化)因子の抽出が容易に
クリニカルイナーシャの問題点は、医師も患者さんも治療を変更することに抵抗感があるということです。限られた外来診療時間のなかで治療変更をうまく提案し、受け入れていただくことが重要になります。診療ガイドラインに書かれていると説明するよりも、実際に「自分の身に何が起こっているのか」ということを実感してもらうほうが受け入れは容易になります。実際には、Long term eGFR plotを用いて、現時点の腎機能だけでなく、「3年後に透析になるリスクを抱えている」などと将来の予後を伝えることで、患者さんの治療の受け入れがスムーズになっているように思います。
早期に介入できれば食事療法や薬物療法を中心とした低医療費の治療を続け、透析を防ぐことが可能になります。
患者さんをご紹介いただいたかかりつけ医からも「良くなった」と報告をいただき、さらに紹介を増やしていただいています。
図5 悪化のトレンドを早期に発見し、早期介入することが求められる
Nakazawa, et al. 第36回日本糖尿病合併症学会, 2021
求められるICT 活用と
ステイクホルダーとの連携
私も約20年間医師として働いてきたことを振り返ったときに、自分が20年前に診始めた患者さんが今、透析をしているのかどうか、また10~20年後の患者さんがどうなっているのかを診続けることが大事なのではないかと思っています。もちろん、急性期の患者さんを治すことも重要ですが、それよりも数多くの慢性疾患患者さんの10年、20年後の健康というものを常にイメージしながら診療することも専門医として重要ではないかと考えています。
80~90歳代の患者さんが電車を乗り継いで大学病院の外来に通い続けるのは負担が大きいです。地域格差が解消されるまでは、中澤先生がご指摘されていたようなICTの活用がその問題解決になると期待します。
記事作成日:2022年4月