琉球大学病院 血液浄化療法部
部長・診療教授
古波蔵 健太郎 先生
沖縄県南城市では、2016年、行政と医師会、腎臓専門医の連携による「南城市慢性腎臓病重症化予防事業」を開始しました。腎臓専門医を含むプロジェクトチームが、特定健診の結果から透析導入のハイリスク患者を抽出して「治療計画案」をかかりつけ医に提案。その後も腎機能をモニタリングし、計画案の調整も行うユニークな取り組みです。
今回は、プロジェクトを立案し、治療計画案の作成に携わる、琉球大学病院 血液浄化療法部 部長・診療教授 古波蔵健太郎先生に、取り組みについてお話を伺いました。
「降圧薬の個別最適化療法」をベースに
プロジェクトが始動
― 古波蔵先生の所属する琉球大学では、CKDに関する研究が早くから行われていたとお聞きしています。
古波蔵先生 はい。私の前任者である、当時の血液浄化療法部 診療教授 井関邦敏先生は、沖縄県の住民の検討から、蛋白尿が多いほど末期腎不全の発症リスクが高まることを世界に先駆けて報告し
※、それが現在のCKDの概念の提唱へとつながっていきました。私はこの沖縄発のエビデンスのいわば"地産地消"を目指し、現場で活用するための独自のメソッドを考案して講演会等を通じて医療者に対する啓発活動を行ってきました。このような積み重ねが奏功し、沖縄県の各地域で様々なCKD重症化予防事業が行われるようになりました。私と行政で立ち上げ、2016年10月に始動した「南城市慢性腎臓病重症化予防事業」のプロジェクトもその一つです。
※ Iseki K, Ikemiya Y, Iseki C, Takishita S. Proteinuria and the risk of developing end-stage renal disease. Kidney Int. 2003;63:1468-1474
― 南城市では、どういった課題があったのでしょうか。
古波蔵先生 2014年度の南城市における国民健康保険の総医療費に占める透析医療費の割合は8.7%で、全国平均を上回っていました。また、透析患者数は年々増加傾向にありました。そのため、市の保健師は特定健診のデータを活用し、CKD患者さんの状況分析に熱心に取り組んでいました。それによると、透析導入患者さんは健診の未受診者が多く、また、内科に通院していても透析導入になってしまう患者さんがいること、さらにCKDの重症度分類を用いた分析では、腎臓専門医への紹介レベルに達している患者さんのうち、専門医が治療を行っているのはわずか17%であることもわかりました。
こういった状況から、かかりつけ医、腎臓専門医との連携が必要だと考えた南城市は、まず、CKD重症化予防の取り組みを進めていた一般社団法人 南部地区医師会に協力を要請し、相談や助言を得られる体制を整えました。
― 古波蔵先生は腎臓専門医として参画し、このプロジェクトを立ち上げられたのですね。
古波蔵先生 はい。南部地区医師会から、当大学の第三内科が委託を受けて参加することになりました。私は、CKDの治療において独自の「降圧薬の個別最適化療法」を提唱し、透析患者さんの原疾患の約8割を占める糖尿病性腎症、腎硬化症、慢性糸球体腎炎に対して、良好な成果を上げていました。また、以前から市のCKD事例検討会に参加し、行政がCKD重症化予防に必要なデータを把握していることを知っていたので、双方をうまく活用するシステムを作れば、透析導入患者数を減少できるはずだと考えていました。そこで、降圧薬の個別最適化療法をベースにしたシステムを発案し、賛同を得たことから、プロジェクトが具体的に動き始めたのです。
― 降圧薬の個別最適化療法とはどういった治療法ですか。
古波蔵先生 糸球体高血圧主体か虚血主体かによって、降圧目標や使用薬剤の種類を決めることです。
腎臓にはこれらの2種類の糸球体血行動態異常が不均一に存在していて、そのバランスは一人ひとりの患者さんによって違います。輸入細動脈の自己調節機能の破綻による糸球体高血圧がメインの場合は、尿蛋白の量が多くなります。一方、輸入細動脈の内腔の狭小化による虚血が主体の場合は、尿蛋白は乏しくなります。糸球体高血圧がメインであれば厳格な降圧が必要ですし、虚血が想定されれば降圧目標を高めに設定し、降圧薬の変更も考えなければなりません。降圧薬の個別最適化療法では、尿蛋白の程度と肥満や糖尿病の有無などの諸条件を勘案し、どちらがメインかをある程度推定したうえで治療計画を作成します。治療を行っていく中でeGFRや尿蛋白などの変化を見て、想定したインパクトが得られなければ降圧薬を調整するなど、PDCAサイクルを回して適宜修正を行っていきます。
プロジェクトでは、この治療法とその実践におけるノウハウを活用し、取り組みの流れを構築していきました。
行政へのアウトソーシングをイメージし
“データ活用”と“見える化”で仕組みづくり
― プロジェクトのポイントを教えてください。
古波蔵先生 まず、限られた人的資源を有効活用しながらアウトカムを確実に出すために、3つの基本戦略を立てました。その戦略とは、①eGFRや尿蛋白などの“データのプラクティカルな活用”による腎障害進展予測、②病態の“見える化”と降圧薬の個別最適化療法を用いた“個別治療計画の立案”、そして、2つの戦略を実践するための③地域レベルでのシステムへの落とし込みです。①の予測に基づいて、対象を“5年以内に透析導入と予測されるハイリスク患者”を中心に絞り込みました。
図1で示すように、データの活用と見える化、個をベースにした対応は、各ステップでの要となります。プロジェクトチームの保健師が、データを活用して見える化ツールを作成し、見える化した情報を、チーム、患者さん、かかりつけ医と共有して、一人ひとりの最適な治療と最大の治療効果を目指し、治療内容の見直しや見守りを継続していきます。
図1 南城市慢性腎臓病重症化予防事業のプロジェクトの流れと対象患者
保健師、管理栄養士、腎臓専門医を含むプロジェクトチームが、データの活用と見える化、個をベースにした対応を各ステップに盛り込み、“アウトソーシングを請け負う”というスタイルを目指した。
― 対象患者さんには、どのステップから見える化ツールを活用するのですか。
古波蔵先生 最初のアプローチ段階から活用します。ほとんどの患者さんは、このままだと数年以内に透析導入になってしまうことをご存知ありません。そこで、透析リスクを見える化するために腎機能(eGFR)の悪化予測のグラフを作成し、保健師、管理栄養士が患者さんと面談を行った時に、それを使って説明します。患者さんにとっては、「透析導入になっても仕事は続けられるのだろうか」と、生活への影響をリアルに捉え、治療の開始・継続や、生活改善といった行動変容へとつながっていくわけです。
― 古波蔵先生は、かかりつけ医の先生方の診療の実情も重視して、プロジェクトの仕組みを考えられたとお聞きしています。
古波蔵先生 そこも大きなポイントです。講演会などを行うと、CKD患者さんを診ているかかりつけ医の先生方から、「自分の治療に過不足はないか、何を指標にすればいいかなど多くの課題を感じる」「専門医に紹介しても治療内容があまり変わらないが、紹介は必要なのか」といった声をお聞きします。私自身もそうですが、忙しい日常診療の中で、馴染みのない専門外の知識をアップデートして対応するのは時間もかかり、難しいものです。透析リスクが把握できないと、透析が患者さんの生活に与える影響もイメージしにくかったり、CKDは癌のように直接的に生命予後に結びつく疾患ではないことから、専門医への紹介が遅れがちになることもあるかもしれません。
そこで私たちが目指したのが、患者さんだけではなく、かかりつけ医の先生方にも見える化ツールを活用し、患者さんの透析リスクを明確にイメージしていただくこと、そして、腎臓専門医を含むプロジェクトチームに、安心して治療の一定の部分を “アウトソーシング“できるシステムです。
― 具体的に、チームはどのように動くのでしょうか。
古波蔵先生 参加の同意を得た後は、保健師が病態やeGFRの推移などのデータをまとめ、3ヵ月ごとの「事例検討会」で、チーム内に共有します。介入によって改善すると考えられる患者さんについては、私が降圧薬の個別最適化療法に基づいて一人ひとりの「治療計画案」を作成し、情報とともに見える化したものを、保健師や管理栄養士がかかりつけ医を訪問して説明します(図2)。患者さんの経過はプロジェクトチームがモニタリングし、降圧薬の個別最適化療法のプロセスに則って、eGFRや尿蛋白などの変化を見てPDCAサイクルを回し、治療内容の調整案を提示します。経過のデータと調整した治療内容は、定期的に保健師や管理栄養士がかかりつけ医を訪問して報告、再提案します。
もちろん、提案された治療計画案を活用するか、ご自身の治療法で進めるかは先生にお任せし、患者さんと相談して決めていただきます。経過のモニタリングはすべての対象患者さんに行っていきますので、データの推移は計画案の実施に関わらずご報告し、治療に活用していただきます。
このように、継続的に患者さんの経過と治療案を含めた情報提供を行うことで、かかりつけ医の先生がアウトソーシングをイメージできる仕組みとなっています。
CKD関連情報提供書には現在の病態と治療計画案を記載し、今後の方針も確認する。見える化ツールでは、腎機能の推移と、疾患や降圧薬の個別最適化療法についてわかりやすく可視化(下では一部を紹介)。見える化ツールは患者さんとも共有され、患者さんは腎機能の推移から治療効果も確認できるので、治療の継続の意識も高まる。プロジェクトチームが2019年度までに新規事例検討を行った人数は135人で、モニタリングと合わせると延べ235件に上る。
当初の課題は改善傾向に
今後は国保以外の保険者への拡大を
― データ活用も戦略の一つですが、主にどういった情報やデータを用いているのですか。
古波蔵先生 保健師と管理栄養士が保健指導や栄養指導、かかりつけ医の訪問を行う中で、家族歴、既往歴、生活背景、治療経過などを把握し、服薬状況や生活の変化もフォローしています。医療状況については、お薬手帳の情報、国保データベースシステムから健診やレセプト情報の履歴も加え、これらを一元管理しています。
こういった情報は、保健指導や栄養指導にも活かされており、たとえば、管理栄養士は服薬内容からカリウム制限食の指導を行うなど、薬物療法の安全性の向上にも貢献しています。南城市では地区担当制のため、保健師と管理栄養士が対象患者さんと顔が見える関係にあったことが情報収集や指導を円滑に進めるうえで大きな強みになっており、それぞれが、患者さん、かかりつけ医、腎臓専門医の間のリンクワーカーという重要な役割を果たしています。
― かかりつけ医との連携はどのように構築していますか。
古波蔵先生 地域の先生方とは、年に1回勉強会を開催し、プロジェクトチームとして顔の見える関係をつくってきました。勉強会の参加者は徐々に増え、2019年度は10の医療機関から、医師や看護師など23名が参加されました。最近では、市に事例の相談や栄養指導の依頼も届くようになっています。また、提案した治療計画案を実施する先生も増えており、2018年度には、20の医療機関と連携しています。中には、降圧薬の個別最適化療法を、自院の他のCKD患者さんの治療に活用している先生方もおられます。
― プロジェクトの介入によって、透析導入リスクの高い患者さんの腎機能はどう改善したのでしょうか。
古波蔵先生 これまでにプロジェクトが介入した患者さんは計61人で、eGFRの年間の変化量の平均(単位:mL/min/1.73m2/年)は、介入前の-3.0が介入後には-0.5へと改善しました。治療計画案が実施された45人については、介入前の-3.9が、介入後は+1.1と、プラスに転じていました(図3)。これは、虚血タイプではガイドラインに沿った降圧薬が投与されていても腎機能を悪化させることがあり、薬の変更によって改善されたためではないかと考えています。
図3 南城市慢性腎臓病重症化予防事業対象者介入後の経過比較 (2021年10月現在)
図4 南城市国民健康保険加入者における人工透析者数の推移
新規透析導入患者数は、プロジェクト開始翌年に減少し、その後は多少変動しながらも介入前に比べると少ない人数で推移。
― 開始前の市の課題については、改善はありましたか。
古波蔵先生 最初にお話しした南城市の国民健康保険の総医療費に占める透析医療費の割合については、2016年度には10.2%にまで上昇したのですが、介入後は徐々に低下し、2019年度には7.1%になりました。また、透析患者数は、プロジェクト開始の翌年には減少し、その後はほぼ横ばい状態です(図4)。透析導入患者数もそれまでより低い人数で推移しており、プロジェクトが介入した中で透析移行になってしまった患者さんは2人に留まっています。透析患者数は、患者さんが亡くなったり転居や転出などで変動するため、一概にプロジェクトの成果だと語ることはできませんが、透析導入患者数の低下やeGFRの変化量の改善が続けば、成果が現れているのだと考えてよいと思います。
一方で、他の保険者から国保へ資格移動後に透析導入になったケースがあることから、国保以外の保険者へのアプローチが課題となっていました。そうした中、2020年度から、協会けんぽと「糖尿病性腎症重症化予防事業における保健指導業務委託」の契約を結ぶことになり、これまで介入が困難であった働き盛りの患者さんに、より多く関わる体制ができました。今後もプロジェクトの枠組を拡げ、国保以外の保険者との連携強化を目指していきます。
― 充実した取り組みが成果につながっていることがわかりました。他の地域への広がりも期待されます。
古波蔵先生 現在、沖縄県の市町村で、同様のコンセプトによる事業展開が検討されています。地域の実情に合わせて、全国でもこのプロジェクトが展開されればと思っています。
南城市でこのような独自のプロジェクトが円滑に進んでいるのは、地域の医師会の協力と、熱心な保健師、管理栄養士の存在とともに、かかりつけ医の先生方のご理解とご協力があるからです。これからも、チームが一丸となり、一人でも多くのCKD患者さんの透析導入を遅らせるために尽力していきます。
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