国立がん研究センター中央病院
総合内科長(糖尿病腫瘍科)
大橋 健 先生
医療法人大石内科クリニック(京都市)
院長
大石 まり子 先生
奈良県立医科大学医師・患者関係学講座 教授
石井 均 先生
糖尿病治療は当事者によるセルフケアが最も重要かつ困難で、医療者もその点に苦慮しています。鍵となるのが両者の良好なコミュニケーションで、その理念となる「エンパワーメント」1)と実践法の1つである「コーチング」が注目されています。
今回、糖尿病におけるエンパワーメントを日本に紹介し普及に尽力する石井均先生、日本糖尿病医療学学会コーチングワーキンググループ委員長の大石まり子先生、同ワーキンググループメンバーであり、コミュニケーションを考えるワークショップなどの活動に取り組む大橋健先生にご参集いただき、エンパワーメントとコーチングに共通する基本精神とともに、陥りやすい誤解についても解説していただきました。
糖尿病診療の基本精神:
糖尿病のある人を“Patient”ではなく“Person”として尊重
―糖尿病では、医療者の指示に従う従来の急性期疾患モデルとは異なる治療アプローチが求められています。
石井先生 まず初めに糖尿病診療の基本精神について確認したいと思います。最も大切なのは当事者を「糖尿病患者(Diabetes Patient)」ではなく、「糖尿病を持つ人(Person with Diabetes、以下PwD)」と捉えることです。「患者」ではなく、1人の「人間」として尊重することが糖尿病診療の起点にあり、エンパワーメントの基本精神もそこにあります。
目の前の人の捉え方で治療目標は変わります。「患者」ならば合併症の予防や生存期間の延長などが目標になりますが、1人の「人間」とした場合、ご本人にいかに豊かな人生を送っていただくかが最も重要な目標になります。
私たち医療者の役割は、目標達成のために指示をするのではなく、その人が自分の人生を考え主体的に行動を選択するサポート役であることを認識しておかなくてはなりません。適切なサポートには、その方にとって何が困難となっているかを知ることが重要です。
―PwDが抱える困難や負担とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
石井先生 糖尿病による心理的負担の程度を評価するツールである糖尿病問題領域質問表(PAID:Problem Areas In Diabetes Survey)は20項目の質問から成り、それらは①食事療法や運動療法、薬物治療などの糖尿病治療による負担、②糖尿病という病を持つことによる負担、③周囲の人々との関係による負担−の3つの要素に分けられます2)(表1)。このように糖尿病がもたらす負担は多岐にわたるため、医療者は対話を通じ、1人1人にとって何が大きな負担になっているのかを理解していく必要があります。
―これまでのご経験の中で特に印象に残っているエピソードをご紹介ください。
大石先生 糖尿病と診断された際に主治医から食事や体重の管理を厳しく指導され、「食べてはいけない」と自分を追い込み、食事を取れなくなって激痩せしてしまった方がいました。初診時の伝え方・関わり方が与える影響はとても大きいことを目の当たりにした経験でした。
大橋先生 就職活動さなかの大学4年時に1型糖尿病を発症した方が忘れられません。彼は警察官になる夢を諦めざるをえず、「絶対に1型糖尿病を許さない」と言っていました。糖尿病がいかに人生に大きなインパクトを与えるのかを思い知らされました。
(QOL評価マニュアル, 医学書院, 2023, 106-111pを基に取材内容から作成)
安心感を与えることが
コミュニケーションの要
―PwDとのコミュニケーションで気を付けていることを教えていただけますか。
大橋先生 糖尿病は管理状況が数値として目に見える形で現れるため、悪化してしまったとき、医療者はまずその点を指摘し原因を追求しようとしがちです。PwDは医療者のこうした態度に防御的になってしまいます。
数値は悪化したとしても、その間の生活で心がけていたことやできていたことを尋ねていくと、HbA1cが上昇した理由について自分から考え、話してくださることもあります。そこで一緒に考える土壌が生まれ、セルフケア行動の変化につながるのです。
石井先生 ミカンの箱買いを看護師に注意され、防衛的になった人がいました。しかし粘り強く対話を続けた結果、「心筋梗塞を経験し、死ぬ前においしいものをたくさん食べたいと思った」と打ち明けてくれたそうです。そこから双方向性のコミュニケーションが成り立つようになり、以前とは違う選択をされるようになりました。
―大石先生は食事管理がうまくできないPwDにどのように対応されていますか。
大石先生 食事内容について質問し、次に「血糖を下げるには何をしたらよいと思いますか」など本人の考えを確かめます。「間食は減らしたくない」ならそれを否定せず、できることを一緒に考えるようにしています。食事は家族関係にも関わることから、食事を取る状況についても尋ねます。
PwDとのコミュニケーションで最も重視しているのは「ここでは何を話しても受け止めてもらえる」と感じ、安心して来てもらえる場をつくることです。
石井先生 安心感を持ってもらうことが一番大事ですね。日常の行動や考え方を知りたいという姿勢を見せる大石先生の手法は、その人を尊重したコミュニケーションといえます。この医療者は自分を非難しない、一緒に考えて問題を解決しようとしていることが伝われば、PwDは変わる道を自身で探すようになるのです。
エンパワーメントとは
医療者が働きかけるのではなくPwDが自ら手に入れること
―糖尿病治療におけるエンパワーメントについて解説をお願いします。
石井先生 エンパワーメントは医療者から働きかける方法と思われがちですが、そうではありません。PwDが、糖尿病という疾患を管理する自信や管理するためのスキルを身に付ける気持ちを自分で手に入れることです。医療者の役割は、あくまでもそのサポートです。
あらゆる援助法の根底には力を得ようとする人を助けるという精神があります。それさえ揺るがなければ、どのような方法でもエンパワーメントにつながります。
近年、医療倫理の領域でShared Decision Making(SDM:共同意思決定)の重要性が広く認識されつつありますが、その根本に在るのもエンパワーメントです。SDMではPwD自身が目標達成の手段を選択します。結果として「お菓子を食べる」という選択をするかもしれないのですが、その選択によって生じる結果の責任を負うのは本人です。したがって、選択肢の先にある未来を自分で解釈し、理解する力を持てるようにならなくてはなりません。
大橋先生 糖尿病の管理は「先生の言う通りにします」では成り立たないため、セルフケアの責任は本人以外には誰も取れないという現実があります。その現実からスタートしなくてはならないと、「糖尿病エンパワーメント」を提唱したRobert Anderson先生らは繰り返し説いています。従来の急性期疾患モデルと比較すると、エンパワーメントの考え方がわかりやすいですね(表2)。
―医師に任せてしまいたいと思うPwDに、自分で責任を負ってもらうことは難しくないでしょうか。
大橋先生 「お任せします」という選択も、エンパワーメントの方向性から外れなければ是とするのがAnderson先生らの見解です。もちろん最初から「あなたに100%の責任があります」と伝えるのではなく、「まずこちらから提案をします。でも、それがうまくいかなかったら、次の策を一緒に考えましょう」と説明するところからスタートします。
石井先生 少しずつ提案しながら治療を進める中で、「糖尿病の管理」を徐々に当事者に手渡していきます。このシェアしていく過程がエンパワーメントだと考えています。
―意思決定のプロセスで患者さんの考えとすれ違ったときは、どのように調整するのですか。
大石先生 本人が選択する治療法のメリット・デメリットや、本人の優先順位などについて話し合った上で「これでやってみましょう」と決定します。前提として、決定しても後から変更できること、効果を見ながら調整していきましょうということをお伝えしています。
表2 エンパワーメント型モデルと従来型(急性期疾患)モデルの比較
(医歯薬出版『糖尿病エンパワーメント』31p, 表4-1を参考に取材内容から作成)
「逆おまかせ医療」に陥ってはならない
石井先生 近年、エンパワーメントは糖尿病に限らずさまざまな領域で注目されています。しかし、「PwD本人が否定するなら、その治療はしなくてよいのだ」と安易な意思決定がなされることを危惧しています。
これは、PwDの意見を尊重しているように見えるだけで、本来のSDMの姿ではありません。PwDが選択の責任を負うことと、医師が責任を負わないことはイコールではないのです。SDMを医療者が都合良く利用すべきではないという点を強調しておきます。
大橋先生 同感です。明らかに危険な場合やその方向で進むのはよろしくないと思われる場合は、主治医としてきちんと指摘する責任があります。医者が考えずに「あなたの望む治療をします」という無責任な医療のことを、石井先生は「逆おまかせ医療」と表現されたことがありますね。
石井先生 逆おまかせ医療はPwDの発言の表面をなぞっているだけです。SDMの考え方に基づけば、その背景に何があるのかを医療者は知ろうと努力すべきなのです(図)。
図 SDMの考え方に基づくアプローチと権威的医療・逆おまかせ医療(例:インスリン治療)
(取材内容を基に作成 ※参考:石井均編. 糖尿病ケアの知恵袋. 医学書院. 2004)
エンパワーメントの理念に沿ったコーチングとは
―次に、コーチングについて伺います。大石先生は何をきっかけにコーチングに興味を持たれたのでしょうか。
大石先生 エンパワーメントについて学ぶ中で、実践方法に迷っていたときに出合ったのがコーチングでした。
国際コーチング連盟では、コーチングを「思考を刺激し続ける創造的なプロセスを通して、クライアントが自身の可能性を公私において最大化させるようにコーチとクライアントのパートナー関係を築くこと」と定義しています。「思考を刺激し続ける創造的なプロセス」は、視点を変える質問などによって新たな考えを生み出す双方向の対話を意味します。また「クライアントが自身の可能性を公私において最大化させる」はエンパワーメントそのものと考えています。
コーチングをする側の姿勢や心構えである「コーチングマインド」も重要です。これは「コーチが開放的で好奇心を持ち、柔軟性を持ってクライアントを中心に据えた思考態度を開発し、維持する」という考え方で、他者支援を行う医療職にマッチしています。さらに「その人にとって必要な答えはその人の中にある」、「相手の可能性を信じて関わる」ことも重視されています。
コミュニケーションスキルについてもコーチングから多くを学びました。私たちの世代は、診察室でPwDとどのように会話をしたらよいのかを学ぶ機会がありませんでしたが、コーチングを通じて傾聴についての認識を深め、エンパワーメントにつながるコミュニケーションの取り方を学んだことは実臨床で役立ちました。
コーチングはスキルではなく
エンパワーメントの基本精神を実現する手法
―石井先生はコーチングについてどのようにお考えですか。
石井先生 大石先生や大橋先生はエンパワーメントの精神を理解し、それを実現する方法を探しているときにコーチングに出合った。これは極めて正しいと思います。ただ、最近はコーチングの方法論ばかりが注目され、元の精神が理解されないまま手っ取り早くスキルだけ勉強しようという流れもあり、その点を危惧しています。
大橋先生 コーチングはエンパワーメントと同様、根本に哲学があり、それを実現するためのメソッドが一体となったものです。コーチングもエンパワーメントと同様に誤解されやすいのですが、相手を指示に従わせるための道具ではないという点は認識していただきたいです。
―糖尿病診療におけるコーチングの効果に関する臨床データはあるのでしょうか。
大橋先生 HbA1cの変化をアウトカムとしたメタ解析では、コーチングによってHbA1cは約0.3%低下したと報告されています3)。ただし、コーチングの定義や具体的な介入の内容が明記されていない研究も含まれます。
大石先生 コーチングに関する論文は少なくないものの、評価方法が一貫していない、症例数が少ないなどの限界があり、質の高いエビデンスとはまだいえない状況です。今後のエビデンスの蓄積に期待しています。
―最後に、糖尿病診療におけるエンパワーメントやコーチングの今後の展望についてお聞かせください。
大石先生 PwDがどこへ行っても自分の言いたいことを言えて、その言葉に対応してくれる医療者がいる。それが当たり前になる時代が早く来てほしいです。
大橋先生 エンパワーメントの浸透のためにもコーチングを学ぶ医師が増えてほしいですね。できればコーチを付けて自分の話を聞いてもらい、それにより得られる力がどれほど大きいのかを実感してもらいたいと思います。
石井先生 エンパワーメントもコーチングも努力により上達するほど、糖尿病診療が充実していきます。でも、手法としての面白さに心を奪われてはいけません。それを用いる対象が「人」であること、その人たちが糖尿病を持つ故に抱える困難を乗り越えるためのサポートが私たちの務めであることを忘れないでほしいと願います。
文献
1)
Anderson RM, Funnel MM. The Art of Empowerment: Stories and Strategies for Diabetes Educators. American Diabetes Association, Alexandria, VA, 2000(石井均監訳:糖尿病エンパワーメント. 医歯薬出版,東京,2001)
2)
Polonsky WH, et al. Diabetes Care 1995; 18: 754-60.
3)
Sherifali D, et al. Can J Diabetes 2016; 40: 84-94.
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